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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)7980号 判決 1998年7月27日

原告

竹内美智子

被告

西田三枝子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六四年一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、原告が、被告に対し、交通事故により損害を受けたと主張し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条及び民法七〇九条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

二  争いのない事実

1  交通事故の発生(以下「本件事故」という。)

(一) 発生日時 昭和六四年一月五日午前八時二五分ころ

(二) 場所 滋賀県蒲生郡日野町村井一二三九番地先町道

(三) 加害車両 普通貨物自動車(滋賀四〇な五二七)

運転者 被告

(四) 被害車両 足踏み式自転車

運転者 原告

(五) 事故の態様及び被告の過失

被告は、交通整理が行われていない交差点を直進するに際し、交差点に一時停止の道路標識が設置され、右方の見通しも困難であったから、交差点の直前で一時停止して、右方道路の交通の安全を確認しなければならない注意義務があるのに、交差点の直前で一時停止をしたが、右方道路の交通の安全を確認しないで時速約五キロメートルで交差点に進入した過失により、右方道路から進行してきた被害車両左側部に自車前部を衝突させ、転倒させた。

2  責任原因

被告は、加害車両を所有していたから、自賠法三条に基づき、また、前記過失があるから、民法七〇九条に基づき、損害賠償義務を負う。

三  原告の主張の要旨

1  傷害

原告は、本件事故により、左腓腹部分断裂などの傷害を負った。

2  後遺障害

原告は、平成五年二月二六日、症状固定したが、股関節、膝関節、足関節に、それぞれ可動域制限があり、関節機能障害の後遺障害が残った。

後遺障害は、自賠法施行令第二条別表後遺障害別等級表九級に該当する。

3  損害

(一) 治療費 二〇四万六五四〇円

原告は、本件事故発生日から平成五年二月二六日まで、医療法人社団日野記念病院(改称前日野中央病院)に入院(六一日)及び通院(実通院日数八四日)し、治療費二〇四万六五四〇円を支払った。

(二) 入院雑費 七万九三〇〇円(一日一三〇〇円)

(三) 休業損害 一一〇〇万四九一三円

原告は、いわゆる兼業主婦であるが、本件事故発生日から症状固定日の平成五年二月二六日まで、一五一四日間、休業せざるを得なかった。

(四) 後遺障害による逸失利益 一六一〇万一四九五円

原告は、前記の後遺障害を負い、労働能力を、三五パーセント、二二年間喪失した。

(五) 入通院慰謝料 二四九万円

(六) 後遺障害慰謝料 六五〇万円

4  過失相殺

原告と被告の過失の割合は、一対九とすることが相当である。

5  損害のてん補 二三六万八四六四円

6  弁護士費用 三〇〇万円

7  一部請求

原告は、被告に対し、前記損害額合計三五〇三万一五五九円の内金三〇〇〇万円の支払を求める。

四  被告の主張の要旨

1  消滅時効

原告は、平成元年一一月二八日に症状固定したから、それから三年後の平成四年一一月二八日の経過により、原告が有する損害賠償請求権は時効消滅した。

被告は、時効を援用する。

2  過失相殺

原告は、交差点に進入するにあたり、減速をしなかったし、加害車両の動静に注意をしなかった。したがって、原告と被告の過失の割合は、二対八が相当である。

3  てん補

被告は、原告に対し、治療費一四五万九三六〇円及び休業損害二三六万八四六四円を支払った。

五  原告の反論(消滅時効の中断)

仮に、原告が平成元年一一月二八日に症状固定したとしても、原告訴訟代理人山内良治と被告の保険会社である住友海上火災保険株式会社の担当者が平成三年二月二〇日に交渉した。また、原告訴訟代理人山内良治と被告訴訟代理人飯田俊二が、平成四年三月九日、交通事故紛争処理センターにおいて、被告が原告に対し損害賠償債務を負うことを前提に、原告の後遺障害や過失割合について、交渉した。

したがって、被告は、債務を承認した。

六  被告の再反論

仮に、被告が平成四年三月九日に債務を承認したとしても、その交渉は決裂し、以後まったく交渉はないから、それから三年後の平成七年三月九日の経過により、再度時効消滅した。被告は、時効を援用する。

七  中心的な争点

症状固定の日

第三判断

一  原告の症状固定日について

1  証拠(甲六ないし八、一〇の一ないし一〇、乙一ないし五、六ないし一五の各一と二、弁論の全趣旨)によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 原告は、本件事故により傷害を負い、昭和六四年一月五日、日野中央病院において浅野安郎医師の診察を受け、左腓腹筋部分断裂、右胸部打撲、左下肢腰部打撲との診断を受け、左腓腹部痛が続いており、保存的に加療することになり、同日から同年三月六日まで入院し、同年三月七日から通院を始めた。

(二) 原告の左腓腹筋部分断裂については、昭和六四年一月五日の初診時、わずかに断端を触れる程度であり、腫脹は軽度であった。

同月一〇日には、車いすによる移動が可能になり、同月一七日には、ギブス固定し、同月一八日には、松葉杖による歩行が可能になった。

同月三一日には、腫脹が消失した。

同年二月一〇日には、ギブスをはずし、同月一三日には、松葉杖で廊下を歩行し、歩行がスムーズになり、同年三月四日には、杖なしでも、歩行がスムーズになった。

原告は、前記のとおり、同月六日退院した。

(三) 原告の退院後の通院状況は、同年三月には一二日、同年四月には一二日、同年五月には五日、同年六月には二日、同年七月には二日、同年八月には三日、同年九月には二日、同年一〇月には一日、同年一一月には二日、それぞれ通院した。

原告は、通院して、診察をしてもらい、主に投薬を受けている。

(四) 日野中央病院の浅野医師は、平成元年一二月二八日、次の内容の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を発行した。

症状固定日は平成元年一一月二八日であること、傷病名は、左腓腹筋部分断裂であること、自覚症状は左下肢痛であること、精神、神経の障害、他覚症状及び検査結果は、足関節ROMが正常範囲であり 他覚的に異常所見を認めないことなどである。

(五) 日野中央病院の浅野医師は、平成二年三月一日、次の内容の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を発行した。

症状固定日は平成元年一一月二八日であること、傷病名は、左腓腹筋部分断裂であること、自覚症状は左下肢痛、しびれ感、脱力であること、精神、神経の障害、他覚症状及び検査結果は、左腓腹部に圧痛があり、初期には同部に断端を触診できたこと、左脛骨神経域に知覚障害があり、左PSR軽度低下を認めること(これらは、脛骨神経損傷によるものと思われる、合併症)などである。

(六) 日野中央病院の浅野医師は、平成二年八月三一日、次の内容の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を発行した。

症状固定日は平成元年一一月二八日であること、傷病名は、左腓腹筋部分断裂であること、自覚症状は左下肢痛、しびれ感、脱力であること、精神、神経の障害、他覚症状及び検査結果は、左腓腹部に圧痛があり、初期には同部に断端を触診できたこと、左脛骨神経域に知覚障害があり、左PSR軽度低下を認めること(これらは、脛骨神経損傷によるものと思われる、合併症)、足関節に可動域の制限があり機能障害があること、障害の内容の増悪、緩解の見通しなどについては、症状は固定していると思われることなどである。

(七) 原告のカルテには、平成二年一二月一七日、慢性疾患指導計画、経過良好著変なし、同様治療続行のことなどと記載されている。

同旨の記載は、平成四年一月二八日まである。

(八) 本件事故の態様は、前記認定のほか、次のとおりである。

加害車両が時速約五キロメートルで進行中、交差道路を直進してきた被害車両と衝突した。加害車両は、その場に停止した。原告は、加害車両のボンネットに乗り上げた後、ボンネット横の地面に転倒した。被害車両は、加害車両の前方約一・九メートルの地点に転倒した。

2  これらの事実によれば、原告は、本件事故により、左腓腹筋部分断裂の傷害を受けたが、その程度は比較的軽微であったこと、入院し、通院して治療を受けたが、症状は順調に回復し、平成元年一一月ころには、通院回数も減り、治療の内容も投薬にとどまっていること、原告の担当医師は、三度にわたり、自覚症状は左下肢痛、しびれ感、脱力などであるが、他覚的には異常所見がなく、平成元年一一月二八日に症状固定したと判断していることが認められる。

そうすると、原告は、平成元年一一月二八日に症状固定したと認めることが相当である。

3  これに対し、原告は、症状固定日は平成五年二月二六日であると主張し、以下の証拠を提出するので、検討する。

(一) 原告は、次の内容の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲二)を提出する。

医療法人社団日野記念病院の浅野医師は、平成五年五月六日、次の内容の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を発行した。

平成五年二月二六日に診断したこと、症状固定日は平成五年二月二六日であること、傷病名は、左腓腹筋部分断裂、後左下腿痛であること、自覚症状は左腓腹部痛、左下腿筋の脱力(発作性)であること、精神、神経の障害、他覚症状及び検査結果は、神経学的には異常所見を認めないこと、腱反射は両側とも亢進しているが左右差はないこと、知覚障害はないこと、股、膝、足の各関節に可動域制限があり、機能障害があることなどである。

確かに、この後遺障害診断書には、症状固定日が平成五年二月二六日であると記載されている。

しかし、この後遺障害診断書と前記1(四)ないし(六)の各後遺障害診断書を比較検討すると、いずれも、傷病名は左腓腹筋部分断裂であり、自覚症状は左下肢痛または左腓腹部痛であり、神経学的には異常所見を認めないとされている。

そうすると、これらの後遺障害診断書の内容はほとんど同じであると認めることができ、症状固定日が平成五年二月二六日である旨の後遺障害診断書があるからといって、前記認定を覆すに足りない。

(二) さらに、原告は、原告代理人からの照会に対する浅野医師の回答書(甲一一)を提出するが、その内容は次のとおりである。

当初、平成元年一一月二八日に症状が固定したと考え、さらに、左腓腹部痛は、根性(坐骨)神経痛の症状と考え、その治療として、経仙骨孔ブロックや硬膜外ブロックを施行したが、その効果があまりなく、平成二年一一月二六日ころには、むしろ症状の悪化をきたすことがあった。そのため、主症状である左腓腹痛は根性(坐骨)神経痛の症状としてだけでは説明できないと思われた。つまり、腓腹筋断裂時に合併したと考えられる脛骨神経損傷による痛みがまだ残っているものと推測された(この推測を証明する理学的所見はないが、臨床上、深部神経損傷は他覚的所見に乏しいことはよくある。)。そこで、対症的に、消炎鎮痛薬などの処方をし、症状の緩解を待ったが、改善はみられず、あらためて、平成五年二月二六日に症状固定と判断したなどという内容である。

しかし、これを検討すると、必ずしも内容が明確でないほか、左腓腹部痛は根性(坐骨)神経痛の症状と考えたとの点については、前記認定の治療の経過や各後遺障害診断書の内容と整合性を欠くのではないかとの疑問がある。なお、付け加えると、前掲証拠によれば、原告は平成元年九月二五日の二週間前(本件事故発生から約八か月後)ころ右根性神経痛が、また、同年一〇月二日ころ左根性神経痛が発症したことが認められる。そうすると、これらの根性神経痛は、本件事故発生後かなり時間が経過してから発症しているから、本件事故との間に因果関係があるとは認めがたい。したがって、根性神経痛が原因であれば、その症状は、そもそも本件事故との間に因果関係がないことになる。

また、左腓腹痛は腓腹筋断裂時に合併したと考えられる脛骨神経損傷による痛みがまだ残っているものと推測されたとの点については、理学的所見がないというのであるから、推測にすぎないといわざるを得ない。さらに、前記認定のとおり、脛骨神経損傷については、平成二年三月一日発行の後遺障害診断書(乙二)において既に指摘されているから、担当医師は、この後遺障害診断書発行時に脛骨神経損傷の可能性を検討していたはずであり、これを考慮したうえ、症状固定と判断したと認めるほかない。

仮に、これらの点をすべて措くとしても、投薬などにより、症状の緩解を待ったが、改善はみられなかったというのであるから、より早い時期に症状が固定していた可能性が十分にあるというべきである。したがって、平成五年二月二六日に症状が固定したとの判断には合理的な理由がないとともに、平成元年一一月二八日に症状が固定したとの判断は不合理であるということもできない。

したがって、前記回答書(甲一一)があるからといって、原告の主張を認めることはできない。

二  消滅時効の中断について

1  原告は、原告訴訟代理人と被告の保険会社の担当者が、平成三年二月二〇日以降、本件事故について示談交渉をしたから、被告が債務を承認した旨の主張をする。

しかし、これを裏付ける証拠がないから、これだけでは、被告が債務を承認したと認めることはできない。

2  また、原告は、原告訴訟代理人山内良治と被告訴訟代理人飯田俊二が、平成四年三月九日、交通事故紛争処理センターにおいて、本件事故について、被告が原告に対し損害賠償債務を負うことを前提に、後遺障害や過失割合について交渉をしたから、被告が債務を承認した旨の主張をする。

しかし、仮に、原告代理人と被告代理人が右の日時と場所で本件事故について交渉をしたとしても、その具体的な内容が明らかではない(これを認めるに足りる証拠もない。)から、交渉の事実だけでは、被告が債務を承認したと認めることはできない。

さらに、弁論の全趣旨によれば、その交渉は決裂し、以後まったく交渉はなかったと認めることができる。そうだとすると、仮に、債務の承認があると認められるとしても、それから三年後の平成七年三月九日の経過により、再度時効により消滅したと認めざるを得ない。

3  したがって、いずれにしても、原告の主張を認めることはできない。

三  結論

したがって、また、原告は平成元年一一月二八日に症状が固定し、それから三年の経過により請求権が時効消滅したというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。

(裁判官 齋藤清文)

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